副題:ロジカルシンキングの罠
自分では十分ロジカルだと思っている、またいわゆるロジカルシンキングの手法にもならっている。 にもかかわらず、周りの人に「ロジカルではない」と指摘されることはないだろうか。
そのような人すべてに当てはまるかは分からないが、もしかしたらと思うことがひとつある。
正攻法に関しては他所におまかせして、ここでは、私の経験則をもとに、こうではないかということを述べてみる。
十分ロジカルなのにロジカルではない、と言われる、
なぜそんなことになっているか、一言で言うと、求められている
だからだと思う。
上記のロジカルシンキングは、「ビジネスにおけるロジカルシンキング」とした方が正確かな。
あと、語呂の関係で、断定したが、
◯◯ is not always □□
の方がより気楽かもしれない。
「ビジネスにおけるロジカルシンキング」は、数学、論理学、あるいは科学分野での論証の類とは別物だと思った方が良い場合がある。
少なくともその類の「唯一の真理」としてなり立つ何かを、なんらかの積み重ねて何かを立証したりするものではない。
また、「唯一」ではないにせよ、思想や哲学を主張するものでもない。もっとユルイ何かなんだと思う。
んな厳格なものではないことは分かっているという方は心配はない。
ただ、学生の時の経験や特定の専門分野に日常的に向き合っている人によっては、このユルイ感覚に馴染めなくて苦しんでいるのではないか。 自分では妥当と思われる条件を積み上げたつもりなのに、なぜか否定される理由はこのようなところにあるかもしれない。
じゃあ、何がユルいロジカルなんだと言うことになる。
これは、説得相手がもともと常識だと思っている、理解している、思い込んでいる因果関係どおりに主張をなぞることができるかということにつきるのだと思う。
この「因果関係」は、おおよそ次のようなところを抑えることになろう。
- 説得相手の知っている類似の前例があるか
- 説得相手の経験において、AならばBの場合の、AとBの「同時確率」がそれなりに高いか(「条件付き確率」よりも「同時確率」で捉えた方が良い)
- 説得したい内容が「AなのでB」とすると、説得相手の経験において、Aと類似の事象が起きた前後で(Bではない)Cが起きたという、反例にあたる経験がないか
- 説得したい内容が「AなのでB」とすると、説得相手の経験においてBにまつわる嫌な経験をしたことはないか
非常にツマラナイ話なのであるが、要は空気を読むとか忖度する、あるいは言葉をかえて言うと、おもてなしの心意気が必要なのである。
あなたがロジカルシンキングをせよと命じられているような状況においては、(その時点で命じた相手が答えを自覚しているは別として)最終形のロジックはすでに決まっていると思った方が良い。
と同時に、これで本当に良いのかという思いも駆け巡るが、これで良いこともあるように思う。 さっさと頭を切り替えて、他の大事なことに集中することもたまには必要だろう。
以上、 お金にならないのかそれ以外の理由かはわからないが、あるいは私が浅学なのかもしれないが、ググっても上記のような意見は見つからないためここに記してみる。
言葉にしておきたい、もう一つのバリエーションがあるがそれはまた今度。